白井晟一の手と目

白井晟一の手と目

白井原多/編

3,600円(+税10%)

ISBN:9784306045620

体裁:B5・100頁

刊行:2011年10月

巨匠の思考を等身大で感じるエスキス集。室内の造作をひとつずつスケッチし、講演原稿を入念につづる。身辺を彩った遺愛の品々にのぞく知られざる素顔。建築へのまなざしと手蹟を綴じた絵草紙。

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  • 1 草紙「芦屋山本邸」計画 1962年ごろ
  • 2 講演手稿「華道と建築──日本建築の伝統」 1950年
  • 3 樹種についての覚書 1975年ごろ
  • 4 日常の彩り
  • 5 PHOTOGRAPH 1938~40年
  • 6 解説 草紙「芦屋山本邸」計画

語りかける白井晟一の全体像

松隈 洋

孤高の建築家と言われた白井晟一(1905~83年)の実像がようやく見えはじめた、との思いを強く抱かせるような本の登場である。おりしも、2010年9月から2011年8月にかけては、彼の没後はじめてとなる大規模な建築展「白井晟一 精神と空間」が、群馬県立近代美術館を皮切りに3か所で開催された。一般には長らく忘れ去られていただけに、展覧会のカタログの表紙を飾った哲学者のような風貌と時代を超越した建築に接して、カルチャー・ショックを受けた人も多かったことだろう。たしかに、その存在は、生前から半ば神格化されていた。

同時代に活躍した坂倉準三(1901~69年)や前川國男(1905~86年)、丹下健三(1913~2005年)など、日本の近代建築の主流をなす建築家とはあまりにも異質である。それだけに、今から振り返ってみたとき、残念ながら、白井の建築と思想については、彼自身の歩みに即した正確な理解がなされてきたとは言いがたい。あるときは、「反近代派」[*1]と呼ばれ、後年は、「マニエリスト的」[*2]と評されて、つねに、同時代に支配的だった文脈から、なかば誤読に満ちた扱いを受け続けてきた構図も浮かび上がって見えてくる。しかし、白井の遺した建築は、ヨーロッパで培われた幅広い教養と哲学に裏打ちされた、滋味深い陰影と質感を併せ持つ独自の世界を宿しており、今なお、生命力を失っていない。白井は、どのような設計プロセスを経て、このような建築を生み出していったのだろうか。

没後にまとめられた図面集(『白井晟一全集』同朋舎出版、1987~88年)に収録され、今回の展覧会でも展示されて注目を集めたように、白井の設計図面は、その超絶的とも言える精緻な描法で知られる。それは、実施設計図という制作図のレベルのものではなく、それ自体が、でき上がった建築と同等の物質性を持つ作品となっている。けれども、その完成度ゆえに、これらの図面は、製図室における白井の設計行為の実体をベールの中に覆い隠してきた側面も否定できない。一方、白井自身の描いた直筆のスケッチについても、すでに、『白井晟一スケッチ集』(同朋舎出版、1992年)というかたちで紹介されている。しかし、それらも、不明なものや断片的なものが多く、作品の初期イメージは伝わるものの、設計プロセスを読み取るものとはなっていなかった。

こうしたなか、今回、白井のアトリエに大切に保管されてきた、未完に終わった個人住宅の計画段階のスケッチ集を蔵出しし、現物の風合いも含めて忠実に再現するかたちで収録した本書は、そうした空白を埋めて、建築と向き合う白井の手の動きと構想したイメージをうかがい知ることのできる、極めて貴重な資料として注目される。

印象的なのは、そのほとんどが見取り図として描かれていること、そして、綿密な書き込みから読み取れるように、素材や金物など、どこまでも具体的な物質を通して、そこに立ち上がる建築が構想されていることだ。同時に、ページをめくるたびに、設計に没頭する白井の喜びも伝わってくる。

そのほかにも、直筆の原稿や覚書、「教材コレクション」[*3]と呼んで、白井が身近に置いていた古今東西の品々、そして、家族へと向けたカメラが捉えたまなざしまで、これまでほとんど知られることのなかった、本書のタイトルそのままの、「手と目」のありかが紹介されている。さらに、1960年、戦後初めて渡欧した際に綴られた日記も興味深い。イギリス滞在の最後に訪れた大英博物館の感想が記されており、つぎのような言葉が読み取れる。

ヨーロッパ内外ではやはり、マヤ、インカのものが圧倒的だ。アフリカ、オセアニアは問題にならぬ。支那もせいぜい唐迄、しかしこゝでは何といってもギリシヤが圧巻だ。フィジアスのパルテノンフリーズなどこゝでなくては見られぬ。ヨーロッパもギリシヤ以後はあまり大したもののないことがわかった。(中略)私は若い時に、ヨーロッパで建築にしがみつかず、哲学を勉強したことがよかったとつくづく思った、もしそうでなければ今の自分の様に建築を自由に見、又つくることが出来なかっただろうと思ふ。うまいまづいはまだまだこれから、眼から丈の吸収は「しばる」ものだ。

本書によって拓かれた白井晟一の全体像は、どこまでも自由だ。混迷を深める現代にあって、その精神に何を読み取るのか、私たちの建築と向き合う姿勢が試されている。

[*1] 浜口隆一「長崎の親和銀行̶̶ 折衷主義の再評価」『近代建築』1964年2月号

[*2] 磯崎新「親和銀行本店を見て」『新建築』1968年2月号

[*3]「白井晟一の『教材コレクション』」(聞き書き:神代雄一郎)『芸術新潮』1976年9月号

(まつくま・ひろし/神奈川大学教授、京都工芸繊維大学名誉教授)

[初出:『SD2011』鹿島出版会, 2011]