闘う建築家の公式評伝と全346作品録。大判の作品集で読み解く全建築論と全足跡。アクソメなどの図面でみる全作品録。和英併記。
風景、社会制度の中に入り込んでいって、そこに“刺激”をもたらすような新たな関係性をつくろうとすれば、当然のこと、摩擦や衝突が起こる。建築の原点たる住まいの問題、空間の光と影といった美学上の問題、あるいは都市空間、場所の風土の問題。つくる度にさまざまなテーマに直面し、それらに建築で応えるべく、悪戦苦闘してきた。その全てが挑戦だった。(安藤忠雄)
わたしは彼が30代の時から、傍らで多くの作品を手がける姿を見てきた。これだけの建築家でありながら、やはり、挫折も、あてはずれもあった。しかし、その度に、彼は禁欲的に自己を律して、決して諦めることはせず、建築家として正面から課題に再挑戦して、いくつもの壁を打ち破り、さらなる高みへと移行していった。安藤忠雄は、紛いなき「建築の求道者」である。(松葉一清)
安藤忠雄 建築家と建築作品
ISBN:9784306046566
体裁:B4変型・482頁
刊行:2017年10月
- 緒言 永遠の建築 安藤忠雄
- 第I部 安藤忠雄評伝──闘う建築論、作品、時代、社会 松葉一清
- 第1章 「わたしの存在感」「情念の基本空間」を求めて──都市生活者のアジトとしての住宅
- 第2章 商業建築に都市の〈公性〉を託す──道、広場、都市の文脈
- 第3章 〈美〉は〈自然〉と融合し、母なる大地に還る──国境を超える美術館の挑戦
- 第4章 「生き続ける近代建築」を目指して──建物と建築家の「30年の物語」
- 第5章 〈無〉は魂の安らぎをもたらす──己の精神と向き合う宗教施設
- 第6章 ランドスケープ、まちづくりへ──〈建築〉に始まり、〈建築〉を超える
- エピローグ アンドウは如何にして建築家となりし乎
- 第II部 全346作品録
建築をつくることの原点
千葉 学
開かれた大学
東京大学に安藤研究室ができる─そんな噂が世間に流れはじめていたおよそ20年前、突然僕のところに安藤研の助手にならないかという話が舞い込んできた。安藤さんにお会いしたこともなかったし、事務所と大学の両立も難しいだろうという思いで、僕はお断りするしかないと考えていた。しかしせっかくのお話、お断りするにしても直接お会いしなければと、たまたま東京にいらっしゃる機会を狙って初めて安藤さんにお会いした。確か建築会館だったと思う。30分程度の話だったが、そこで安藤さんは、大学を開かれた場にしたいと熱く語ってくださった。結局僕はその言葉に動かされて、その場で助手を引き受けることにしたのだ。
大学にいらしてからは、次々と新たな試みが繰り広げられた。ジャン・ヌーヴェル、レンゾ・ピアノ、ドミニク・ペロー、I.M.ペイなど、世界で活躍する建築家が安藤さんの招きによってつぎつぎと本郷キャンパスにやってきて、いかに建築を志し、若いころに何を勉強していたのかを学生たちに直接話しかけたのだ。教室には学外の学生もあふれ、毎回異様な熱気に包まれた。安藤さんが大学でなしたことは、ほかにも挙げればきりがない。コルビュジエの展覧会、数々の出版、コンドル賞の創設などなど、安藤さんにしかできない稀有な機会が続々と学生たちに与られていった。
東大生が安藤さんの事務所に数多く就職するようになったのも、このころからだろう。安藤さんの前にも後にも安藤さんのような建築家は存在しない。その活動を、存在を、直接肌で感じたいと願う若者がつづいたのだ。
抽象化された図面
僕が学生のころ、安藤さんはすでに特異な存在だった。世界がポストモダンに席巻されるなかで、抽象的でミニマルな造形がひときわ際立っていた。そんな安藤さんの話を聞いてみたいという素朴な想いで講演会を企画し、安藤さんに登壇をお願いしたのもこの頃だ。学生による拙い企画で、しかも大学の一講義室での講演にいらしていただいたのは、今思えば驚くべきことだが、講演は熱のこもった素晴らしいものだった。ちょうど六甲の集合住宅の設計をされていたころで、あらゆる部分にミリ単位でこだわって設計をするのだという言葉が強く記憶に残っている。
雑誌『SD』の安藤忠雄特集(1981年6月号)が出版されたのも、このころである。講演会で見せてくださったスケッチとは裏腹に、そこに掲載されていた図面はどれも極めて抽象度が高く、読み取るだけで苦労をするものだった。どこが開口なのか、階段は上るのか下るのかなど、容易に読み取れない。だからこそ、実際の作品と照らし合わせながら、図面を読み解く楽しさがそこにはあった。
おそらく安藤さんは、実作でしか体感できないこと、図面でしか伝えられないこと、写真だからこそ見せられること、それの全てをわかっているからこそこうした表現にたどり着いたのだろう。繰り返し図面を読み解き、写真を眺め、そして実際に建築を訪れ、安藤さんの建築は僕の中で身体化されていったと思う。
今回刊行された『安藤忠雄 建築家と建築作品』は、写真よりも図面に重きをおいた作品集である。安藤さんの建築が多くの人に知られるようになった今、改めてこの図面が一覧できることには大きな価値があるだろう。それは実作や写真とは異なるもうひとつの「読みもの」だからだ。
描き、つくりつづけること
国立新美術館で開催された展覧会は、これまでの安藤さんの、初期の作品から現在進行中のプロジェクトまでが一堂に会した壮大なものである。ところ狭しと並ぶ模型、図面、スケッチの数々は、ただただ圧倒されるばかりである。おそらく個人の建築家の展覧会として、ここまでの規模と物量で埋め尽くされたものは、世界でも初めてなのではないか。
なかでも初期の作品群のドローイングは、目を奪う。それは、鉛筆で丹念に描かれたもので、僕が学生時代に『SD』で目にしたものもあれば、講演会のスライドで見たものもあり、当時の記憶を呼び覚ますものでもある。まだ作品の規模が比較的小さかったせいか、その図面の密度も、またスケッチに描かれた情報量も一層際立ち、そこにもまた読み解く楽しみが潜んでいるのである。会場を進み、近年の作品群に足を踏み入れれば、模型の規模はさらに大きくなり、原寸大の事務所の一角や作品までもが現れる。安藤さんの建築が、どんな場所でどんなふうにして生み出されるのか、それを追体験するかのような展示なのだ。
このように教育、出版、図面やスケッチまで、じつにたくさんのチャンネルを通じてメッセージを発信しつづける安藤さんの展覧会には、建築の専門家でない人も多く訪れるのだという。実際、建築家という存在を社会に広く浸透させたのも安藤さんの功績のひとつであるから、当然のことだ。しかし改めてこの展覧会を俯瞰してみれば、じつは展示物の多くは、その物量は桁外れだとしても、やはりスケッチであり図面であり、模型なのである。これだけさまざまなツールやメディアが開発され普及してしまった現代においても、昔から変わることなく建築のスタディに使われているツールがその中心をなしていることは、ある意味で勇気づけられることだ。建築の歴史とともにあるツールを今なお踏襲しつつも、これだけの仕事が世界のあちらこちらで共感とともに受け入れられ、実現している。それは今の建築界が学ぶべきことのひとつだといえるだろう。
たった一人の特異な天才がなしえた奇跡としてではなく、むしろ建築が社会に広く受け入れられ、そして価値ある資産として継承されていくために、僕たちは描き、つくりつづけなくてはならないということだ。
(ちば・まなぶ/建築家、東京大学大学院教授)
[初出:『SD2017』鹿島出版会, 2017]