世界が注目する2組の若手建築家、長谷川豪とOFFICEケルステン・ゲールス&ダヴィッド・ファン・セーヴェレンが描写する自作と歴史の関係。
今日の建築設計の現場において「歴史」というものは一体どのような役割を果たすのか。
長谷川豪、ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレンは、過去の建築作品と互いの作品を読み解き、描写し、翻訳し、流用することによって、それらが織りなす星座を見つけ、意味を紡ぎだす。そして、それぞれの星座がささやきはじめる。
こうして歴史は設計に生かされる資源へと変容する。
世界が注目する2組の若手建築家、長谷川豪とOFFICEケルステン・ゲールス&ダヴィッド・ファン・セーヴェレンが、アンドレア・パラーディオ、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、グンナール・アスプルンド、アルド・ロッシ、坂本一成らの作品と自身らの作品の関係性を多数のドローイングを用いて示す。
本書は2017年5月にカナダ建築センターで開催された展覧会のカタログとして制作された。展覧会の様子はバス・プリンセンの写真で本書に記録されている。
Besides, History
現代建築にとっての歴史
ISBN:9784306046658
体裁:菊・208頁
刊行:2018年6月
- 序文:建築はそれ自体で語るための方法を求めている/ジョヴァンナ・ボラーシ
- 第1章:境界線としての平面図/ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレン
- 第2章:集合論としての断面図/長谷川豪
- 第3章:部屋のある眺め/ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレン
- 第4章:見かけの凡庸さ/長谷川豪、ステファノ・グラツィアーニ、ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレン
- 第5章:モントリオール、2017年5月/バス・プリンセン
- 第6章:作品12題/長谷川豪、ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレン
- 「桜台の住宅」「森のピロティ」「駒沢の住宅」「経堂の住宅」「御徒町のアパートメント」「上尾の長屋」(以上6作品、長谷川豪建築設計事務所)、「ヴィラ」「ウィークエンド・ハウス」「シティ・ヴィラ」「ドライング・ホール」「伝統音楽センター」「ソロ・ハウス」(以上6作品、OFFICEKerstenGeersDavidVanSeveren)
- 対話:ビサイズ、ヒストリー/ジョヴァンナ・ボラーシ、ケルステン・ゲールス、長谷川豪、ダヴィッド・ファン・セーヴェレン
歴史と現代の自律的で友好な関係
黒川 彰
カナダ建築センター(CCA)にて開催された展覧会「Besides, History: Go Hasegawa, Kersten Geers, David Van Severen」の書籍版である。
CCAは、2組の建築家に「問い」を投げかけ、作家たちの対話を展覧会と書籍というかたちで発表するマニュフェスト・シリーズを展開してきた。本企画では日本の長谷川豪とベルギーのオフィス ケルステン・ゲールス、ダヴィッド・ファン・セーヴェレンに「建築の歴史」というテーマが与えられた。CCAチーフキュレーターのジョヴァンナ・ボラーシによると、彼らは多くの先代の建築家たちと異なり、現代性の表現を創作の目的とせず、歴史のなかの仲間たち(作家・作品・バナキュラーな建物)との対話を積極的に広げたうえで、その結果として現代的かつ基本的な建築をつくる事務所と位置づけられる。
追体験
本書を読み進めると、この企画を通して2組が「歴史をどう使っているか」をぶつけ合い、共感または差異を通じてお互いの態度を相対化していく様子を追体験することができる。この成果物に至るまでの議論の熱気が伝わってくる、いわゆる展覧会カタログにはない生々しさを感じるのは、僕がオフィスで働いていたことや、スイス留学中に両者と親交があったことだけが理由ではないはずだ。
両者の対話の成果は4つの切り口「境界線としての平面図」「集合論としての断面図」「部屋のある眺め」「見かけの凡庸さ」という展覧会と書籍に共通する章立てにより示され、さらに書籍では、展覧会の記録写真と各建築作品紹介が加えられ、最後にキュレーターを交えての対談によって彼らの1年間の共闘が締めくくられる。
本企画において、両者の作品はどれも建築の基本的なマテリアル(平面図、矩計断面図、透視図、模型)により表現されるが、特別なことが2つある。長谷川がすべての断面図と模型を、オフィスがすべての平面図と透視図を担当し、相手の作品も含めて表現媒体を制作したことと、両者の作品と歴史上の作品たち(CCAのコレクションから選ばれたもの)が媒体を揃えて並列されていることである。お互いが作品の所有権を放棄することで、巨匠(ミースやパラーディオなど)と現代作家のマテリアルによる対話が始まる。
バス・プリンセン(オフィスのすべての建築写真は彼に委ねられている)による展覧会の風景写真も興味深い。いわゆる記録写真とは異なり、また、オフィスの建築写真がそうであるように、部屋全体を収めた画や被写体に正対した画はほとんどない。カジュアルかつ精密に調整された角度で撮影された写真は、次ページの写真と消失点を共有し、読者の意識のなかにひとつの世界を築く。ページを送りながら展示室を歩き回るような動的な体験は、プリンセンと本書のグラフィックデザイナー色部義昭の協働成果といえる。
コラージュ
オフィスで働いた身としては、「部屋のある眺め」のセクションで彼らが作成したコラージュについて掘り下げなければならないと感じる。書籍をお持ちの方は、「森のピロティ」と「伝統文化センター」の透視図に定規を当てていただきたい。多くの画家や写真家が用いるような、2分割や3分割のグリッド上に床の境界、グラウンドレベル、独立柱などの要素が配置されていることがすぐに分かる。また、6枚の絵が並ぶと、下から3分の1の高さのラインがつながり、プリンセンの写真の消失点や長谷川の断面図の地表面レベルと同じように、両者がひとつのフィールドを共有し、現代建築を探究する仲間である様子が示される。
文中でオフィスは、透視図の主題は“サイズとプロポーションについての意識的な実験”と述べている。その実験とは、空間の物理的な寸法のスタディであるだけでなく、プロジェクトのアイデアを整理してヒエラルキーを与えることであり、さらに同時に、絵を用いてどのような意思を伝えるかのバランス調整なのだろう。
自律と接続
このようにして作家の手を離れて制作されたマテリアルたちは、周辺環境やプログラムといった文脈情報も剥ぎ取られ、歴史上の作品のマテリアルたちと混ぜられて、展示空間全体にまるで単語のように散りばめられる。
奇しくも、この状態をゲールスは雑誌『SAN ROCCO』(ゲールスやステファノ・グラツィアーニらが創設した建築エッセイ誌、同名出版社より発行)第2号(2011)の「EVERYTHING AND NOTHING」という論考に記している。ソール・スタインバーグによる“View of the World from 9th Avenue”(Cover for The New Yorker, 29 March 1976)の画面全体に広がる事物たちについて、ゲールスはフランシス・ピカビアやエド・ルシェの単語を用いた平面作品との類似点に触れながら、“スタインバーグはその描画技法により、この世界を描写することへの強い野心を超現実的な透視絵に込め、さまざまな表現方式を一枚の絵画のなかで結合させることを達成している”と評している。
自作や参照源たちの担う意味や時代性を薄め、より自律的な要素として、物理的で建築学の基本的な部分にフォーカスして取り扱うことで、長谷川のいう“建物のあらゆる系統の中に自分の仕事を位置付けること”ができると、この2組の建築家とスタインバーグは証明している。そうして解釈が開かれた彼らのマテリアル(単語)たちは、我々以降の世代がつくる建築にも参加し、次なる創作の糧であり続けることができるのだと僕は信じている。
(くろかわ・しょう/建築家)
[初出:『SD2018』鹿島出版会, 2018]