アーバニズムと建築

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第4回 『タクティカル・アーバニズム』×『OVERLAP』
泉山塁威(日本大学准教授・ソトノバ共同代表理事)×西田 司(建築家・東京理科大准教授)×川添善行
司会|兵郷喬哉
2024年6月19日[於 大橋会館2Fラウンジ]

川添今日の回だけ2人にお声がけしています。泉山さんは、これまでも色々な接点はあったのですが、きちんとお会いできるのは今回が初めてで、こういうのも役得だと思いお声がけさせていただきました。西田さんは、私の学生時代からの憧れの人で、常に一歩というか、二歩三歩先に進んでいる建築家の方です。今日は会場に遅れてきましたけれども(笑)

西田いつも後ろを歩いています(笑)

川添本当に色々な影響を受けている方で、このお2人と議論すると何が起こるんだろう?と個人的にもワクワクしています。会場は、司会の兵郷さんが設計された場所です。

兵郷川添研の兵郷と申します。今回、私が設計に携わった大橋会館で対談の司会をさせていただくことになりました。この施設は、もともとホテル兼研修所として使われていた、築50年のRC造5階建てのビルで、リノベーションをして昨年の夏に複合施設として新たにオープンしました。フロアの構成は、1階にレストランとギャラリースペース、そしてわれわれが今いる2階と3階にシェアオフィス、4階と5階にホテルレジデンスとサウナが入っています。施主は将来的にこの辺り一帯を開発する見込みで、その前に数年間、暫定利用というかたちで、池尻大橋のまちにおけるこの場所のあり方や、使われ方を見てみようという、タクティカルな試みをしています。さらに今回のように、まちの人々も巻き込んだイベントなども定期的に行っており、他者性を積極的に受け入れることで、空間的な重なりをつくっています。
 それでは、まずは泉山さんと西田さんに、 タクティカル・アーバニズムの活動の体制的な部分をお伺いしたいと思います。泉山さんは大学の他に、ソトノバとエリアマネジメントラボの二つの母体をお持ちですが、それらの設立の経緯やプロジェクトを行う際の母体の棲み分け、例えば実際にまちに関わる時はこっちが母体でこう関わっていくというような活動体制について教えていただければと思います。

泉山泉山です。ソトノバとエリアマネジメントラボの設立経緯についてですが、ソトノバは、先ほどご紹介いただいた池袋のグリーン大通りのオープンカフェ社会実験を10年前の2014~2015年にやっていたんですけれども、その時は法人名は「パブリック・プレイス・パートナーズ」という名前で、2014年に立ち上げました。僕は当時明治大学の博士課程D2でしたので、研究しなければいけない時期で、法人を立ち上げている場合ではなかったんですけれども、やはりこのような実践みたいなものは少しずつ増えてきてはいたので、『プレイスメイキング』の本を書いている園田聡さんと、『マーケットでまちを変える』を書いている鈴木美央さんと3人で立ち上げました。グリーン大通りをやった後に、やったことやレポートを自分のブログやSNSであげたとしても、どんどん消えていってしまうので、貯められないかな、あるいは貯めたものが探せないかなということで、ソトノバというメディアを立ち上げたというのが2015年で、今9年目ぐらいになっています。取材で記事をあげたりしているのが、全部僕らがやっていると勘違いされるんですけれども、そういうのをやってほしいというような形でプロジェクトなどが生まれたりしていて、2022年からスタッフも雇い、今では4名になっています。エリアマネジメントラボはそれとは関係なく、法政大学の故・保井美樹先生とエリアマネジメント人材育成研究会の仲間たちと一緒に2020年に法人を立ち上げて、エリアマネジメントのプロジェクトや、勉強会などの活動をしていました。

西田ソトノバで、タクティカル・アーバニズムの研究会が立ち上がって、シンポジウムに来てもらったマイク・ライドンとアンソニー・ガルシアと一緒にタクティカル・アーバニズムの本は出しているんですけれども、日本版のタクティカル・アーバニズムガイドを作るみたいな研究会を2017年にやりましたよね。私は、まだ研究会が数回行われたぐらいのタイミングで、研究会に入りました。

泉山他はみんな20~30代ぐらいの学生や社会人なので、西田さんが入られてびっくりしました。

兵郷『OVERLAP』の方では、Architecture for the cityというのが大きなテーマになっています。都市のための建築、建築から都市にアプローチするというスタンスを重要視しているのですが、このタクティカル・アーバニズム的な手法をどのように建築のプロジェクトに展開できると考えていますか?

西田タクティカル・アーバニズムの文脈においては建物を扱った事例が少ないけれども、専門性や制度の問題で都市の建物はいじりにくいのか、という質問に似ているのかもしれません。僕も『OVERLAP』のArchitecture for the cityの部分も読ませていただいて、建築家が都市を考えるというのは、そもそも自然なことだと思うんですね。建築をつくるということは、建築が集まってきて、都市ができるという状況ですから、建築を都市の一つのツールだと捉えた時に、群としての全体像はどうあるかを考えることだと思います。その問題に興味があるという前提で、僕は普段タクティカル・アーバニズムの取り組みや、社会実験で道路を変えてみることがあります。それをやっている時にいつも思うのは、土木では建物と建物の間は道路ですという道路断面を切るんですけれども、道路断面を切ると、道がインテリアに思えてくるんです。道が真ん中にあって、両サイドが建物で、もちろん所有が違いますし、敷地も道路は公共で建物は民間なんですが、道路側に立つとインテリアにいる気分なんですよね。例えば神楽坂の路地裏などに行って道路断面を切ると、D/Hがとても小さくなって、上方への抜け感が小さいですから、より閉塞感があるというか安心感があります。広い5車線の道路などで切ると、全然インテリアを感じず広場みたいなんですが、そのスケールの移動によって、感じ方が変わるというのが建築的だなと思っています。タクティカル・アーバニズムは都市の建物に関与していないという指摘もありますが、僕はその道路断面が建築であり、インテリアっぽいと思っているので、いわゆる建築基準法に定義されるような建物の設計はしていないんですが、常にインテリアデザインをしているぐらいの気持ちではいます。少し延長して考えるとわかると思いますが、グランドレベルの建物があったとして、例えば右側の建物はオープンカフェで、左側の建物はビールを提供してくれるスタンドがあるとすると、カフェからはみ出ているオープンテラスの席とスタンドでビールを買って前で飲んでいる人にしてみたら、それはビアホールみたいな気持ちになるはずです。設計者がそれを建物と呼ぶかどうかという差だけであって、そこで活動している人にとっては、アクティビティとしてすでに建築的な内部で行われている行為を屋外に持ち出しているだけだと感じるのではないでしょうか。そういう視点に立てば、建物の外壁をもっとこうした方がいいとか、厨房をこういうふうに設計したらいいのではということになりますから、一体的なものとして扱えると思います。

川添本当におっしゃるとおりで、今日お話ししたかったのは実はそのことなんです。タクティカル・アーバニズムというのは、個人や小さい規模の社会集団でも都市にコミットできる、実空間として関与できるという態度を表明し実践することが重要なポイントですよね。そして、そういった個人や小さい社会集団が実空間にコミットする状況そのものが建築なのだと思います。タクティカル・アーバニズムというのは、建物ではないけれども、実に建築的な作法なのだと考えると、タクティカル・アーバニズムというアプローチにおいては、都市と建築がイコールになる瞬間が必ずあるはずで、それはまさに『OVERLAP』で書こうとしていたことでもあります。建築のデザインを都市的な文脈で見たら、それはタクティカル・アーバニズムでもあるけれども、そういう都市に配慮された建築空間であるならば、それはアーバニズムなのか建築のテリトリーなのか。そこの境があるのかないのか、境を考えるべきなのかどうか。

西田『OVERLAP』を読んでいると、川添先生のその意識というか、興味がすごく書かれていますよね。アーバニズムなのか?というのは、アーバニズムをどう定義するのか、という話でしょうか。マスタープランニング型で、マッピング的なアーバニズムなのか、もう少しヒューマンスケールや、敷地境界が都市側なのか建築側なのかというのを横断している状態もアーバニズムなのかということですよね。

川添もしくはその一歩手前なのかもしれないですね。タクティカル・アーバニズムは、都市デザインの方法としてカテゴライズされていますが、一方で建築は建築で、そういう外に対しての開き方とかというのは、脈々と挑戦してきた歴史があって、建築と都市がオーバーラップするところがタクティカル・アーバニズムなのか、それとも都市デザインの方法論と建築のデザインの方法論は明らかに違いがあるのか。

泉山都市デザインと建築では、クライアントや主体が違うしスケールも違うしというところはありますが、タクティカル・アーバニズムというのは、マイク・ライドン、アンソニー・ガルシアという著者たちが名付けた動きなり流れだと思います。ニューヨークのタイムズスクエアを広場化したりする時に、社会実験などもしていかないと、40年前の計画がきちんと動いていったとか、パーキングデーも学生がやったものが常設的な政策になっているというのを見ていて、これは今までのニューアーバニズムのようなTOD(Transit Oriented Development)や都市デザインをやっていくという話とは明らかに違う動きが、行政あるいは学生からも始まっているというのは、何だろう?という状況をベースに名付けられたものなので、わりと幅広に書いてありますし、イタリアでも「タクティカル・アーバニズムナウ」という国際コンペがあるんですけれども、そういうのは割と建築系の人が提案しています。アメリカはもしかしたら都市系の人が多いのかもしれないですけれども、タクティカル・アーバニズムを進める時に、建築の人を拒むということは全くないと思います。あとは、社会実験や道路空間の中でやっているものが写真として目立つんですけれども、建築でやっていたものをどうタクティカル・アーバニズムとして捉えるかといった時に、小さいという意味ではリノベーションなどもあると思いますが、それが例えば最近だとエリアリノベーションのように、一個のリノベーションが波及してまちでどんどん展開していくとか、その一つの小さい点みたいなものが、どう大きく、あるいは長く拡大していくかというような、そのような時間軸をどう設定し捉えるか、そこがあるかないかが結構な違いなのだと思います。

西田僕も今日の会場のような古い建物をリノベする機会があって、リノベしている時に、まちの中に新しい公共性というか、居場所みたいなものが生まれるんじゃないかと思っているんです。そうした場所とセットで、足元、道、横の広場とか、使っていない駐車場とかを一緒に考えられたら、もっと都市の風景がよくなるのではないかなと常に思っています。順番はこっちが先にできて向こうが10年後でもいいんですけれども、例えば都市の人がアクセスできる、お金を払う場合もあれば払わない場合もあるんですけれども、公共的な感覚というものがにじみ出て面的にもなっていくというような、そういうのを想像するのが楽しいです。そうすると、古いまちがどう更新されていくのかということにすごく興味を持つようになりますから、タクティカル・アーバニズムというのは、やはり都市の更新手法なんですよね。少しずつ良くして、ロングタームで変えていこうという。この建物一個なんだけれども、この粒が良くなることによって、このまちに宿泊の人口やニーズが増えていくと、その通りの中にそれがもう少し増えていった時に、たむろできる場所がフロントスペースだけではなくて、1階のカフェの道に延びていって、グランドレベルの風景がどう変わっていくか、ということですよね。そして、そのためには制度を変えたほうがいいか、というところまで射程を広げて考えられると、ゆくゆくは都市を考えることになるのかなと思います。

兵郷タクティカルというのはリアルスケールのスタディ手法みたいなものなのかなと思います。『OVERLAP』で語られている「空間の重なり」や「気配」というのは、リアルスケールでないとスタディはできないと思うので、そういう意味でもタクティカル的なスタディというのは、すごく可能性があるなと2冊を読んでいて感じました。とは言っても、実際の建築プロジェクトでは何回も建て直すわけにはいきませんし、この方法をいかに建築的に展開できるのかという可能性をもう少し探ることができると面白いのかなと思います。

西田道路にも社会実験という言葉があって、一時的にイベント的に使うということですよね。実験してみて、色々な効果を測定するんですけれども、意外にそこの場で議論になるのは、社会実験だけやっていてもいいのか。結局タクティカル・アーバニズムは小さく始めるんですけれども、ロングタームでチェンジしていかないと、一つ一つのアクションが結実していきませんから。でも、それって建築が建て替わるよりも実は時間がかかることだったりするわけですよ。都市が変わるということなので。

泉山都市計画だとウォーカブルという政策がありますが、そこで重要なのはアイレベル、グランドレベルというのを豊かにするということです。僕が今日来た時に、(会場の)1階のところを外から見るとすごく緑や開放感があって、すごくまちに開いているなと思ったので、本当にそういう建築がもっと増えたらいいなと思います。その時にすごいいい空間だなと思った地権者や不動産の人が、近くでやってみたいという気持ちが伝播していくというのがすごく大事で、最近は建築の人も不動産のことにすごく興味があると思うんですけれども、やはり不動産を動かしていくというような視点があると良いのかなと思います。デザインプロセスについてはあまりよくわかりませんけれども、基本タクティカル・アーバニズムというのは、デザイン思考ですよね。3Dプリンターでモックアップをつくってみるなど、さまざまありますけど、どうやるかというのはおそらく建築の人の方が得意かなと思います。

川添台湾のフィールドオフィスアーキテクツが宜蘭というまちですごく大きな公共事業をやりながら、ちょっとした路地のポケットパークみたいなものや、近くの橋をデザインしたり、色々なジャンルのデザインを組み合わせてまちを良くしているのが印象的でした。確かに建築の方法も土木的な方法も、小さなポケットパークも、本当は境目なくやっていけると面白そうだと思います。ただその先に、『タクティカル・アーバニズム』の中でも中島直人さんが言っていることなんですけれども、アメリカの場合は、ある種良くも悪くもニューアーバニズム的な世界観が浸透していて、その大きな目標のために小さな粒があっても、それはタクティカルでいられるのだけれども、共通なビジョンがないところで小さな方法をやっているのは、それはタクティカルではなくてゲリラだろうという見方もできますよね。でも、先ほど泉山さんがおっしゃったように、ある場所が変わって、それを違う地権者の人がやってみたいと思えたら、それは伝播していきますから、そのビジョンを最初に共有すべきなのか、そういう伝播型、伝播している間に少しずつ思想も違かったりしますけど、なんとなく広がっていくのか。都市の成り立ちをどう考えるか、という議論でもありますよね。

泉山最近エリアビジョンというものをつくっている地域では、行政と民間の方々が一緒に議論してビジョンをつくります。それは行政が持っている公共空間を民間不動産と一緒に動かしていくということをやるには、そういうものが必要だからです。行政計画は行政よがりのものですし、民間不動産だけをちょこちょこ点で動かしていくだけだったらそこまでやる必要はないですが、そこに道路空間とかを一緒に考えて、あるいは一緒にハードを含めて動かしていきたいということになると、行政も巻き込まなければならないので、ビジョンが必要なのだと思います。プロジェクトによって、ビジョンから入りましょうというパターンもあれば、まず実験からみんな巻き込んでやっていきますというパターンもあり、これはプロジェクトによると思います。ですので、どちらが先かとは言えないんですけれども、大事なのは巻き込みだと思います。例えば実験をするということでも、結構色々な人が来てもらえるので、それで色々な良い意見や反対意見も含めて議論をして、「変えていこうぜ」というふうに次につなげていく、というところから、どんどん階段が上がっていけば、「みんなビジョン描こうぜ」というような話になりますし、「不動産にしていこうぜ」というようになるので、そこら辺の時間軸をどうつなげていくかというのは大事だと思います。ゲリラ・アーバニズムとタクティカル・アーバニズムの違いについては、『タクティカル・アーバニズム』にも書いたんですけど、例えばアーティストが道路で絵を描くというのは、それですごく良いし表現なんですけれども、ゲリラ・アーバニズムはおそらくそこで終わってしまいます。けれども都市計画の人は、その先をきちんとつなげていくことが大事だと思っているので、そこの時間軸と責任の持ち方なのだと思います。

兵郷段階的にビジョンをつくっていくためには、その都度評価をして、次につなげていく必要があると思いますが、誰がどうやってそのフィードバックの回路をつくっていくのかという点に興味あります。例えばこの大橋会館も、開発を見据えて、暫定利用で使っていますが、誰がどう評価すべきなのか。まず施主が評価主体になるとは思うんですけれども、では、はたして施主だけでいいのか。例えばわれわれのように内装設計をした建築家も関わるのか。どういうプロジェクトにしていくかという企画の段階からずっと関わってきている運営事業者も入れるのか。

泉山何のために評価をするかによって、その評価を誰に見せるかというところが変わってくると思うんです。例えば不動産企業としての経営などであれば、そういった数字が必要だと思いますし、もう少し活動を広げたいということであれば、巻き込まれる人や巻き込む人が重要です。つまり、経済効果が大事だという人もいれば、どれだけ市民が巻き込まれたかが大事だという人もいて、みんな指標が違うわけです。

西田にぎわいを人数で測るのかというような話だと思うんですけれども、タクティカル・アーバニズムというのは、小さく始めて戦略的に変えていくという考え方ですよね。もう少し広いバックグラウンドを話すと、プレイスメイキングという、都市の中の意味のない場所を、意味のあるプレイスに変えていくという、そういう議論と関係があります。日本の中でプレイスメイキングを語る時は、だいたい都市再生の大きなテーマは賑わいとか、このまちをどうするのかという話なんですけれども、海外でそれを語っている人たちって、もう少し幅が広くて、子どもプレイスメーカーや、ジェンダープレイスメーカーとか、 フードプレイスメーカーとか、その地域のジェンダーをどう考えるのか、地域の食をどう考えるのか、地域の子どもをどう考えるのかというところから、都市再生を考えています。それらをきちんと都市空間の中で受け止める場所が必要で、それは今の民間の敷地内でもちろんやってほしいけれども、できないのであれば、公共空間を使っていこうよというところまでは実はセットで語られていて、それに対して手を打つ手法の一つがタクティカル・アーバニズムだったりするわけです。道路空間が遊戯道具になるとか、そのセーフティをきちんと考えて、安全性が高まるから、そこに人が歩くだけではなくて、子どもが遊べる場所ができる。これこそ評価軸をどう設定するのかという問題そのものですよね。ですから、矮小化して都市を見てしまうと、にぎわいで人数となってしまいますから、そういう考え方はすぐに頭打ちになると思うんです。今日の議論はたまたま都市計画の人も建築の人も聴きに来ていると思うんですけれども、ここの中に別に子どもの専門家がいてもいいし、経済の専門家がいてもいいし、不動産の専門家がいてもいいよという、その開かれた場に持ち込むというのが、タクティカル・アーバニズムの指標をきちんと機能させるポイントなのかと思います。

川添今日は会場に『OVERLAP』の中でも紹介した三浦詩乃先生が来ていますね。

三浦中央大学でストリートの研究をしている三浦詩乃です。地域のビジョンなどについても深く議論されてきましたが、日本の政策との兼ね合いで、まだズレがあるような気がしています。都市政策として、市民のQOLを上げていくという共通認識の中で、公共空間を良くしてくということが、絶対にQOLにつながるという確信をもっているのが欧米なのだと痛感したことがあります。ある意味、今日のような議論をスキップしていて、すでにデータがほぼ蓄積され取り組むことが当たり前、という状況の中でタクティカル・アーバニズムが位置付けられているのだと思います。一方で日本だとまだまだその前提がありません。そうなると、まずは変えてみることを積み重ねて、タクティカル・アーバニズムを始めなくてはならず、実際にその変化を証明していくという状況ですよね。また、QOLとしての公共空間が重要だということは、SNSの普及がタクティカル・アーバニズムを語る上では重要で、情報メディアに伴うムーブメントという観点からも説明されています。同時にGIS、空間情報のデータを持って都市を見るという時期と重なったと思っており、非常に俯瞰的なデータを基に都市を見ると、ヒートマップで都市の問題点をピックアップして、その地点にタクティカル・アーバニズムとしての小さい取り組みをピンを打つように実施していく。ある意味、技術で見える化されるまでは、勝手に皆さんがゲリラ的にやっているように見えてきたものが、そのヒートマップと重ね合わせることで、これは本当に都市の問題を解決しているんだと説得力をもって伝えられる、そういう時代に取り組みが積み上がってきたという背景があるので、そのアーバニズムの時代性みたいなものを感じながら、今日の議論を伺っていました。

川添今の補助線はすごくわかりやすくて、確かに社会の中での空間への信頼度が一周遅れというか、未成熟なんだろうと思います。公共事業の問題やいろいろなことが、そもそも建築家側の問題でもあるとは思うんですけれども、その信頼度をどう高めていくかというところからやらなくてはいけないというのは、そもそもステージが違うんだということがよくわかりました。

会場質問エリアマネジメントもタクティカル・アーバニズムの中の一つだと思いますけれども、イベントのような動的なものを都市や建築のパブリックスペースにどう結びつけていくか、という方法論の問題があると思います。川添さんは建築家なので、そのあたりのハードとソフトの結びつきを具現化することが必要ではないかという問題意識を持って今日は参加させていただきました。

泉山「タクティカル・アーバニズム=社会実験」みたいな感じで思うのは、すごく狭い範囲の理解だと個人的には思っています。例えば今日の会場は再開発も含めてという話がありましたが、そのような動きは各社デベロッパーもやりはじめていて、小さいリノベや建築をしていって将来的にそこを再開発する。そういうアプローチを、僕は「タクティカル・デベロップメント」と勝手に言っているんですけれども、おそらくエリアマネジメントもタクティカル・エリアマネジメントのようなものがあって、アーバニズムという言葉を変えて、タクティカル建築みたいなものは何なのかとか、どんどん深掘っていくことが大事だと思います。一つ一つのデザインをどのように戦術的に考えるかということだと思います。

西田世界の成功事例を視察して、いいよねというスタンスはわかりやすいと思うんですけれども、そのローカリティを無視する感覚が、すごく邪念だと思うんです。僕が今すごい価値があると思っているのはローカルということです。同じパッケージを繰り返した方が建設業界的に儲かるのはわかっていますけど、やはりその地域にある歴史的コンテクストとか、そこから生まれた営みとか、これからこうなっていくという時間軸というのは、まちに残っていると思うんです。白紙の状態からまちが更新されるわけではなくて、そこにあるものから更新されていきますから、先ほどたまたま川添さんは宜蘭のフィールドオフィスアーキテクツのことを紹介されていましたが、彼らは世界は見ていなくて、自分のまちしか見ていないと言っています。地域と真摯に向き合うというような感覚を持っている。植生もあるし、風もあるし、光もあるし、建物もあるし、マテリアルもあるし、営みがある。それをどう更新していくのかといった時に、例えば日本の中では地方の何かをやるときに、ローカルに日常的にいる人たちと毎日会話をしながらつくる方法があるのではないでしょうか。こういうことを丁寧にやると、意外に風景が整っていくのではないかと思います。日本の風景はすごく雑多でカオスで不思議な風景だといろいろな国から言われますが、昔からあるものもあるけれども、新しいことも混ざっているという、それはそれでローカリティがあると思うので、そこに建築をどう建てるのかっていうことと、都市をどういうふうに更新するのかということを立脚点にした方がよいと思っています。大きな会社がローカルといっても、100万200万の仕事なんかできないよという話だと思うんですが、そういうことの少し先に、何億何十億という開発が発生するという、その文脈は結構大事だと思っています。そして、できないのであれば、若手の小さいアトリエ事務所と組んでもらって、そういうところがタッチポイントをきちんと確立して、そこに入っていくという組み方もあると思いますが、そのような日本の中の美しい風景や、ずっと残ってきているものをどう更新していくのかというのをきちんと捉えて、次の世代に球を投げる時代なのかなと思っています。

川添スケールを横断する取り組みがあちこちで始まっていますしね。

西田では、そうした取り組みの先に、何が大切かというと、『OVERLAP』のテーマでもある「気配」だと思うんです。この本の中でスケッチについて考察しているくだりがありますよね。川添さんは、スケッチというのは図面と違って、そこにある空気感を捉える行為だと書いていますが、まさに今そのスケッチが不足しているのだと思います。そうしたスケッチ的なアプローチによって地域の気配を引き受け、それを次の世代にバトンタッチするという応答こそ、ローカルの価値を継承するための設計という行為においてすごく大事になってきていると感じました。

泉山塁威
泉山塁威
(日本大学准教授・ソトノバ共同代表理事)
西田 司
西田 司
(建築家・東京理科大准教授)