一九三〇年代、大恐慌下のアメリカ。フラー率いる建築家集団SSAから発生した建築と社会の変革をめぐる活発な議論を、現代から参照する
第一次・第二次世界大戦間期の建築家たちによるユートピアへの希求とその帰結について、本書では運動の中心地であったヨーロッパにおける事例ではなく、アメリカ合衆国におけるひとつの展開に着目する。すなわち、一九三〇年代初頭のニューヨークにあらわれた「構造研究会(Structural Study Associates, SSA)」を名乗るバックミンスター・フラー率いる建築家集団と、彼らを取り巻く人々とのあいだでの議論の諸相である。大恐慌という資本主義社会の危機のさなかに活動を開始したこの団体は、産業化に立脚点をおいた建築観を背景として、大恐慌という「緊急事態(emergency)」をユートピアの「発生(emergence)」の契機へと転じるような、建築、都市、そして社会全体にわたる変革構想を提示していた。
SSA
緊急事態下の建築ユートピア
ISBN:9784306046993
体裁:A5・384頁
刊行:2023年3月
- 序章 見えない団体
- 第Ⅰ部 産業化・コミュニティ・美学——近代建築の三つの立脚点
- 第1章 摩天楼の都市と建築家の疎外—アメリカ建築界の状況と課題
- 1 「時—空間」建築をめざして
- 2 「紙上建築」論争
- 第2章 産業化とコミュニティ—建築雑誌の変容と近代建築をめぐる二つの立場
- 1 産業時代の建築
- 2 「テクニカル・ニュース・アンド・リサーチ」
- 3 工場生産住宅論争
- 第3章 「インターナショナル・スタイル」を定義する—MoMA「近代建築」展への道のり
- 1 建築の没落と再生
- 2 一九三一年の前哨戦
- 第Ⅱ部 エマージェンシーからエマージェンスへ——転換点としての一九三二年
- 第4章 「インターナショナル・スタイル」への迎撃—SSAの建築思想
- 1 SSAの登場と『シェルター』の創刊
- 2 「近代建築」展から「SSAシンポジウム」へ
- 3 もうひとつの「インターナショナル・スタイル」、あるいはソヴィエト建築の問題
- 第5章 大恐慌と「産業共産主義」—SSAの社会変革構想
- 1 緊急事態と発生
- 2 エンパイア・ステート・アパートメント
- 3 マルクス主義者との対決
- 第Ⅲ部 シェルターか、革命か?
- ——ニューディール期における分岐と相克
- 第6章 SSAからFAECTへ—建築家と労働組合運動
- 1 労働者としての建築家
- 2 ハウジング政策批判
- 3 資本主義下のハウジング
- 第7章 モビリティのユートピア—「移動住宅」をめぐる構想と論争
- 1 トレーラー・フィーバーと「移動住宅」
- 2 「モービルタウン」への旅
- 3 モビリティVSコミュニティ
- 第8章 産業化の二つの戦線—建築生産の理論化とユートピアの行方
- 1 技術と政治
- 2 環境制御と文化戦線
- 3 崩壊するユートピア
- 終章 反復される問い
かつてアメリカで社会の革命を構想した建築家たち
五十嵐太郎
博士論文をもとに刊行されたアメリカの建築運動論である。タイトルだけからは何がテーマなのかがわかりにくいのは、ほとんど日本で知られていないSSA(Structural Study Associates, 構造研究会)の思想とその背景を扱うからだ。同組織は、バックミンスター・フラーが指導者となり、機関誌『シェルター』で画期的な議論を展開したものの、1932年に3号を刊行しただけにとどまり、ほかのメンバーも有名ではないため、これまで建築史ではあまり重視されていなかった。しかし、SSAは「インターナショナル・スタイル」という言葉を広げる契機となったMoMAの「近代建築」展(1932年)を批判したり、1929年に始まったアメリカの大恐慌を踏まえ、前衛的な建築論を提唱しており、本書はその針の穴から、20世紀半ばの西洋の建築史を逆照射するような構えをもつ。
第I部では、その題名が「産業化・コミュニティ・美学」となっているように、近代建築の3つの立脚点をめぐる議論を整理する。すなわち、アメリカの産業化に注目しつつ、建築家の役割に問いを投げかけたクヌート・レンベルク゠ホルムやサイモン・ブライネス(後にSSAに参加)。また個別の建築ではなく、コミュニティ全体を包括的に計画する必要性を主張した都市研究家のルイス・マンフォード。そして「近代建築」展の企画者たちのヘンリー゠ラッセル・ヒッチコックやフィリップ・ジョンソンは、芸術としての建築を重視し、新しいスタイルを掲げた。
第II部は1932年に先鋭化したSSAの議論を紹介し、第III部は1933年以降のニューディール期における労働組合、ハウジング、モバイルハウス、SSAの散会などを検討する。1932年はソヴィエト宮殿のコンペが行われ、ロシアの構成主義のみならず、ヨーロッパのモダニズムの案が敗退し、復古的なデザインが選ばれ、衝撃をもたらしたが、SSAは資本主義の危機をみつめながら、アメリカ独自の道を模索した。つまり社会革命ではなく、産業進化によるユートピアをめざす「産業共産主義」である。例えば、土地から解放された構築物、エンパイア・ステート・ビルの空室をアパートに転用する計画などが提案された。SSAは強烈なビジュアルを残さなかったが、その構想力は今なお刺激的である。
現在から振り返ると、ロードサイドのヴァナキュラーに注目したロバート・ヴェンチューリ、移動する建築を構想したアーキグラム、黒川紀章のカプセル宣言、資本主義を批判した状況主義者の「転用」などを予見しており、興味深い。ちなみに、本書は当時の雑誌などから膨大な言説を収集し、様々な論争を位置づけているが、ひるがえって現代の建築をめぐる状況は100年後にそうした検証に耐えうるのか。ネットの時代になり、紙の建築メディアは激減し、そもそも展覧会のレビューも決して多くない。アメリカの近代建築が、言葉と理論によっても社会と闘っていたことに感心させられる。
(いがらし・たろう/建築史・建築批評家、東北大学大学院工学研究科教授)
[初出:『SD2023』鹿島出版会, 2023]