B面がA面にかわるとき[増補版]

B面がA面にかわるとき[増補版]

長坂常、青木淳、田中功起、岡田利規、千葉雅也、門脇耕三、浅子佳英、なかむらしゅうへい、畠中啓祐/著

2,500円(+税10%)

ISBN:9784306046429

体裁:A5・192頁(コデックス製本)

刊行:2016年9月

《SayamaFlat》と《奥沢の家》、長坂常の代表作2題を中心に編まれた初期作品集。2009年に発売後、またたく間に完売となった幻の1冊が装いを新たに待望の再刊。千葉雅也、門脇耕三、浅子佳英の論評を新たに収録した増補版。

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  • 作品
  • Bench2/NADiffa/p/a/r/t/Utrecht@IID/円山町の部屋/FLATTABLE/カリガリ/SayamaFlat/奥沢の家/happa
  • 長坂常エッセイ
  • B面がA面にかわるとき/重層的建築/建築における「普段」/スネ夫の家/外壁のリノベーション/落書き建築/プロポーズにカーテン/陸屋根と三角屋根/屋根の上のベンチ/形がない/テクスチャがある/僕たちの身の回りにあるものは、本当にかっこいい。
  • 寄稿(収録順)
  • 青木淳、田中功起、岡田利規、千葉雅也、門脇耕三、浅子佳英

美学の変容を捉える

橋本健史

本書は2009年に、おもにアートブックを出版する大和プレスから刊行された同名書籍を再編集し、新たなテキストを加えた「増補版」である。筆者は旧版発売当時に目を通していたものの、増補版を読んでの印象は、それとはずいぶんと異なるものであった。

まずこの理由として、当然ながら新たに三者のテキストが加わっていることの影響は大きいだろう。旧版刊行後の7年間で、控えめに言っても建築の世界を取り巻く状況の変化は小さくない。そうだからこそ、今まさに再刊されるべき可能性を秘めた内容であるということが、これらで雄弁に語られている。また、再編集によって紙面の構成が変わっていることの影響も大きい。旧版は、写真とテキストが次々と離散的に現れる、親密なレクチャーのような構成であったのに対して、増補版では写真とテキストはそれぞれある程度まとまって配置され、紙の色を違えて明確に区分してあり、新録のボリュームと相まって「読み物」としての性格が強まっている。旧版が「長坂常との遭遇」とでもいうような、作品集的な意味合いが強かったのに対し、増補版はどちらかというと、この建築家についての考察を促すようなつくりになっている。

ところで、その新たに寄せられたテキストで門脇耕三が「〈Sayama Flat〉の完成は2008年1月であり、建築界に広く知られたのは『新建築』2008年8月号(新建築社)での発表を通じてであろう」としている(P.155)が、少なくとも筆者の周辺では2008年の2月に、ある種の事件性を持って認知されていた。当時、筆者は大学の学部4年生で、卒業設計を終える前だったか終えたばかりであったか定かではないが、ともかくその頃はイギリス発のウェブマガジンDezeenを日常的に見ていた。「何か新しいもの」が現れるような期待が、たしかにその当時のウェブマガジンにはあったのだった(それは単に知識量の絶対的な不足によるものかもしれないが、ここ何年もほとんど見なくなってしまったので、現在の雰囲気は分からない)。玉石混淆の膨大なプロジェクトの情報が流れる中で、〈Sayama Flat〉は強烈に目に止まった。閉塞感すら漂わせ始めていた当時の日本の建築界らしい抽象性を志向する手つきが、モノそのものの生々しさをもって止揚されているとでもいうような方法で、乗り越えられつつあるように見えた。こうした建築の更新を(失礼ながら当時としては)無名の若い日本の建築家が担おうとしていることに、期待と興奮を覚えた。机を並べる学生同士で、拙いながらも「新しい建築家」の登場について、議論したことを記憶している。

それから今日に至るまで、実際に〈Sayama Flat〉を見学する機会はなかったので、当然私は写真でしかこれを知らない。ところが、同じ写真を見ているにもかかわらず、増補版の〈Sayama Flat〉からは、何か当時感じたような瑞々しさのようなものが感じられなかった。しかしそれはおそらく、筆者の側の感性や知識の変化というわけではなく、もっと単純なところにあった。つまり、増補版では掲載されていない写真があるのだ。それは、アンバランスで装飾的なスチール脚のテーブルと、アンティークの木製の椅子のセットに、大胆にも土嚢袋でつくられたソファがあり、エポキシ樹脂を分厚く流し込まれたモルタル仕上げの床が、ウユニ塩湖のように置かれたモノを反射している、非常に印象的な写真(旧版PP.36-37)である。なかむらしゅうへいと畠中啓祐の〈Sayama Flat〉をめぐる対談のなかで「皆が口そろえてかっこいいと言えたのは、モデルルームの家具を置いたとき」とする発言があるように、この家具のセッティングが、新しい美学の分水嶺であったことが分かる。Dezeenに掲載されている写真もこれがトップにあり、見慣れないタイプの家具がセットされ、光とその反射との関係がより印象的なものが多用されている。

つまりこういうことだ。施工当時の空間は、当事者にも「かっこいい/悪い」の価値判断が断定できないような状況にあった。しかし、家具と光を綿密にセッティングすることで、「かっこいい」と明確に判断できるような状態となった。Dezeen掲載は竣工間もなくのことであり、その写真が多用された。半年後の『新建築』掲載では、別の撮影者によるものであるが、キャンプ用のチェアやテントがインテリアとして置かれ、窓からの光が床に強く反射している写真が用いられている。1年後の大和プレス版ではそれが1枚に絞られ、8年後の増補版ではついにそれも意図的に消去された。ここで起きたのは、美学の更新である。そのような特殊なセッティングがなくとも、本書を手にするであろう読者にとっては、十分空間としての強度があると理解を得られるという想定を可能にする、価値観の変化が達成されたのだ。この増補版はそのような歴史的な瞬間を、1枚の写真が存在しないことによって示している。

さて、新しく加えられた3本のテキストも本稿もまたそうであるのだが、その大部分が〈Sayama Flat〉を軸に論じられている。ところが、じつは本書の半分ほどのヴォリュームは〈奥沢の家〉に費やされており(〈Sayama Flat〉を含むその他のプロジェクトの合計でおよそもう半分)、長坂自身によるテキストも9篇にも渡っている。これらのテキストは、〈奥沢の家〉の回想録のようなかたちを採りながらも、ひとつひとつが格言めいており、長坂の個人的な感性の吐露というよりは、今読むとむしろ、現代において真摯に建築をつくる人のための、虎の巻とでもいうべきものになっている。と同時に、〈奥沢の家〉そのものは、評価を定めがたい落ち着きの悪さを見る者にもたらし、木造住宅のリノベーション作品が珍しくもなくなった現在においても、怪作として堂々たる存在感を放っている。このことこそが、本書が今まさに再刊される意義なのだろう。

(はしもと・たけし/建築家、橋本健史建築設計事務所、403architecture [dajiba])

[初出:『SD2016』鹿島出版会, 2016]