白い壁、デザイナードレス

白い壁、デザイナードレス

近代建築のファッション化

マーク・ウィグリー/著 坂牛 卓、邉見浩久、岩下暢男、天内大樹、岸 佑、呉 鴻逸/共訳

4,200円(+税10%)

ISBN:9784306046870

体裁:A5・480頁

刊行:2021年10月

伝統的なモダニズム理解を全面的に塗り替える、真っ白な必読書——加藤耕一

「白は十九世紀の装飾的な衣服を脱ぎ捨て、過去と断絶することを示すもの、という程度に理解するのでは不十分であると。白は脱皮した抜け殻を示すものではなく、新たな服としての意味を内包すると説くのである。その意味内容を解き明かすヒントは、建築家とファッションの密接な関係である。一般的にファッション史と建築史は独立した歴史として語られる。しかし双方は類似した様相を呈する。装飾的な服がココ・シャネルなどの近代のファッションデザイナーの手によって簡素で機能的なものに変化していく様は、近代建築誕生の様子と近しいのである」(まえがきより——坂牛卓)

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  • 近代建築の読み替え 坂牛 卓
  • 謝辞
  • 序文
  • テイク1 裸の王様
  • モダニティの外見/空間の衣服/人工器官の組み立て/「眼」以降の建築
  • テイク2 流行警察
  • 血統書付きの番犬/クローゼット探偵
  • テイク3 表面を傷つける
  • 近代の服を作る/建築家のドレス/フェミニンを𠮟りつける
  • テイク4 建築に服を着せ直す
  • 線を緩める/ファッションポリスを捕まえる/面を統制する/テニスでもいかが?
  • テイク5 アンチファッションというファッション
  • アンチファッションドレスの建築/建築をタイプスーツに合わせる/モードからモダン、そしてまた戻る
  • テイク6 白はいい噓をつく
  • 改革ファッション/白い塗装を塗る/白いコートを着せる/ファッションの純粋化
  • テイク7 ディープスキン
  • まばゆい色/錯乱する白/ミルクピッチャーの先へ
  • テイク8 機械時代の壁紙
  • 白い個室を語る/ノマドを着飾る/ウインドウ・ショッピング
  • テイク9 性を負わされて
  • さんご色の指先/皮膚による苦悩
  • テイク10 ホワイト・アウト
  • 色覚異常/流行遅れのスーツ/色付けされた歴史/自然化した白/ヌードカラーのドレス/表面への回帰/結局
  • 解題 邉見浩久
  • 訳者あとがき

白の具象性

加藤耕一

近代建築を「白い壁」という観点から捉えることは、さほど目新しいことではない、そう考える読者も多いかもしれない。だがウィグリーは、私たちがほとんど無自覚に当然の真理として受け入れてきたモダニズムの白い壁に、深く深くえぐり込んでいく。

モダニズム以降、建築家も批評家も、白い壁のことを「中立(ニュートラル)」「純粋(ピュア)」「静寂(サイレント)」「無地(プレーン)」「空虚(ブランク)」「地(グラウンド)」「本質(エッセンシャル)」「質素(スターク)」といった程度にしか認識してこなかったとウィグリーは指摘する。だが彼によれば、じつは白い壁は中立や静寂からは明らかに程遠く、むしろきわめて雄弁なもののはずであった。それは単に、白い壁が建築をアピールするということばかりではない。じつはモダニズムの誕生に際して、建築家たち自身も壁の白さとファッションについて雄弁に語ってきたにもかかわらず、白い表面のモダニズムが成功した瞬間に、周到に沈黙させられたというのだ。そのため後に続く世代は、白い表面の決定的な役割を見落としてきたのだという。

ウィグリーは、白がひとつの層であるという事実は、隠蔽されてきたのだと指摘する。モダンムーブメントの推進者たちは、19世紀の古い衣服を脱ぎ去ったモダニズムの裸の美しさを喧伝した。そして、かつて衣服が占めていた空間に挿入された白色塗料は、それもまたひとつの「層」であったにもかかわらず、それは衣服ではないと解釈された。白い壁は、そうした両義性ないしは複雑性のなかに身を潜めてきたのだった。しかしウィグリーはここで改めて、白い層はそれ自体が特殊な衣類の一形態であったと断言する。そればかりかモダニストたちは当時、19世紀以来の衣服の論理あるいは「被覆の原理」を継承していたのであり、彼らが声高に離脱を宣言したはずの19世紀的な衣服の体系に、じつは残り続けていたことを明らかにするのである。

モダニズムの白い壁は、あたかも19世紀の装飾的な衣服を脱ぎ捨て裸になったところに表れた建築の地の面、あるいは抽象そのもののように扱われてきた。だが実際には白色塗料という新たな衣裳を身に纏ったにすぎなかった。モダニズムを生み出した建築家たちが、いかに衣服やファッションと深く関わり、その論理を援用することで、新しい建築世界を生み出してきたかを、ウィグリーは数多くの建築家たちをとり上げながら論じていく。

なによりもウィグリーの過激さは、そのドレスの論理を排除、隠蔽し、モダニズムの抽象性や倫理性に加担した歴史家や批評家たちに向けられた。モダニズム時代の歴史家や批評家たちによって植えつけられてきた一面的な見方を解きほぐすことが、現代の歴史家の役割であることに、ウィグリーは自覚的である。

本書の原書が刊行された1990年代半ばから、すでに四半世紀が経過した。当時、ファッションと建築を論じることは、ブームでもあった。実際、本書のエッセンスは1991年4月にプリンストン大学で行われたシンポジウム《Architecture: in Fashion》での発表に含まれていた。ここでのウィグリーの発表は、94年に出版された同名のアンソロジーのなかで“White Out: Fashioning The Modern”として発表された。また刊行の順序は前後するが、同論文の第二部が1993年12月に、MITの建築理論誌Assemblageで発表されている。

だが本書の重要性は、ただ単にファッションから建築を論じることの当時の流行のなかに留まるものではない。そればかりか、本書の重要性は今日ますます増しているように思われる。

ちょうどポストモダニズムの終焉に合わせるかのように、90年代半ばには近代建築史を根底から書き替えるような建築史の研究書が次々に登場した。ビアトリス・コロミーナ『マスメディアとしての近代建築』(原書は1994年)やケネス・フランプトン『テクトニック・カルチャー』(原書は1995年)が登場したのはこの頃のことである。本書は、これらの重要著作に並ぶものであり、訳者陣の尽力によってついに邦訳が出版されたことは、まことに喜ばしい限りだ。

私見では、90年代半ば以来の建築史・建築理論研究が新たに着目したのは、抽象としての建築ではなく、具象としての建築の側面である。なかでも「白い壁」に着目したウィグリーは、その抽象から具象への転換を、ひときわ鮮やかに提示したと言えるだろう。モダニズム時代の歴史家や批評家が隠蔽してきた白い壁の背後にあった建築の具象性に、ウィグリーは再び光を当てた。モダニズムを覆い隠してきた秘密のヴェールを引き剝がしたとき、そこに現れてきたのは裸の無垢なるモダニズムではなく、質感豊かなファッションに身を包んだモダニズムだったのである。

建築における物質性(マテリアリティ)に対する関心は、90年代半ば以降、今日に至るまでますます高まっている。だが建築の物質性(マテリアリティ)が示す感覚的な喜びや豊かさは、白い壁の抽象性の前で、悪趣味と見做され、沈黙を強いられることもしばしばである。ウィグリーが明らかにしたドレスとしての白い壁の具象性を理解したとき初めて、私たちはモダニズムの神話的な呪縛から解き放たれることになるだろう。

(かとう・こういち/建築史家)

[初出:『SD2021』鹿島出版会, 2021]