内田祥哉は語る

内田祥哉は語る

権藤智之、戸田穣/編

3,000円(+税10%)

ISBN:9784306046917

体裁:A5・328頁

刊行:2022年3月

建築のその他であり、すべて。
建築学の泰斗へのオーラルヒストリー。
生い立ちから建築家・研究者としての戦後の歩みのすべてを語りつくす。

「当時は、もしかするとこれが最後の設計じゃないかといつも思っているんです。つまり物資はないし、日本がいつ潰れるかもわからないような状況で、こういう仕事は二度とこないだろうと思っていましたからね」——内田祥哉(本文より)

内田祥哉(うちだ・よしちか)略歴
1925年、後に東京帝国大学総長も務めた建築家・内田祥三の次男として東京に生まれる。1947年、東京大学第一工学部建築学科卒業。同年逓信省に入省し、電信通信省、日本電信電話公社と組織変更を繰り返すなかで設計を行った。代表作に東京中央学園講堂(1956)、霞ヶ関電話局(1956)など。1956年、東京大学工学部建築学科助教授として大学に戻り、設計活動、研究活動を並行して行う。1961年、工学博士。主著に『建築生産のオープンシステム』(1977)、『建築の生産とシステム』(1993)などがあり、「建築生産のオープンシステムに関する研究」で日本建築学会賞(論文)受賞。建築構法、建築生産分野において先駆的業績があり、多くの研究者を育てた。設計においても、日本建築学会賞(作品)を受賞した佐賀県立博物館(1970、高橋てい一と共同)、佐賀県立九州陶磁文化館(1981、三井所清典と共同)の他にも、武蔵学園の一連の作品群、実験集合住宅NEXT21(1994)などの優れた作品を、多くは共同設計によって実現した。1970年東京大学教授。1986年に東京大学を退官し明治大学教授。1996年明治大学を退職し、内田祥哉建築研究所設立。1996年日本建築学会大賞。1997年金沢美術工芸大学特任教授、2010年工学院大学特任教授。2010年日本学士院会員。2021年、逝去。

〈2023年 日本建築学会著作賞受賞〉

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  • はじめに
  • 第1章 大学まで
  • 生い立ち/笄尋常小学校のころ/旧制武蔵高等学校のころ(一九三七—一九四四年)/東京帝国大学のころ(一九四四—一九四七)/卒業論文・卒業制作について(一九四七)/終戦前後(一九四五)・空襲の記憶/Column1 一九二〇年代と先達たち
  • 第2章 逓信省・電電公社
  • 逓信省入省/逓信省・電電公社時代の設計/中央電気通信学園宿舎/鉄筋コンクリート/デザインの参照元/中央学園講堂/残響時間について/トラスについて/Column2 戦後の若者たち
  • 第3章 大学に戻る——BE論
  • 東大に戻る/左官・雨仕舞い・取り付け強度/筋の通った研究/BE論の始まり/海外からの新材料・サイエンスへの憧れ/BE論と環境制御/BE論の限界/Column3 一九五〇年代の建築学
  • 第4章 自邸
  • 経緯/平面計画/住宅面積/モデュール/増築/Column4 手摺り
  • 第5章 佐賀前期
  • 青年の家/佐賀県立図書館/佐賀県立博物館/Column5地方都市の戦後
  • 第6章 学生運動
  • 建築運動との距離感/学生運動とのかかわり/Column6近代建築の転回
  • 第7章 構法計画・工業化とのかかわり
  • 構法計画へ/産業界とのかかわり/行政による開発プロジェクト—パイロットハウス/設備ユニット試作競技/芦屋浜/建築家と工業化/建築とシステム/Column7 内田賞
  • 第8章 東京大学から明治大学へ、学生とともに
  • GUP/テーマの変遷/GUPと実践/明治大学/軽量立体トラス/重ねて並べられる机/Vフレームと自在鉤/継続性/Column8 講義
  • 第9章 武蔵
  • 経緯/八号館/構法研究との関係/Column9 学校建築
  • 第10章 佐賀後期
  • 有田町歴史民俗資料館/九州陶磁文化館/有田焼参考館/陶工之碑/Column10 世代交代
  • 第11章 システムズビルディング
  • システムズビルディング/KEPと住要求の多様化/長寿命化へ、CHS/NEXT21/NEXT21の住棟設計/クラディング/住戸設計/まちづくりへ/Column11 住民参加と建築家の立ち位置
  • 第12章 木造へ
  • 明治神宮神楽殿/木造とRC造/構法研究と木造/Column12 木造禁止決議
  • 論考1 耐える、応える戸田穣
  • 論考2 仕組みと隙間権藤智之
  • 作品リスト
  • 内田祥哉略年表
  • おわりに

循環する歴史と、建築における民藝

浜田晶則

内田と民藝

 

生前、幸運にも内田先生の講義を受けさせていただいたこともあり、落語家のようにユーモアをもって語りかける先生が目に浮かぶようであった。技術や科学を信じて建築をつくろうと取り組んでいる方にはぜひ手にとってほしいと思う。建築の新たな生産方法としてCNCルーター、ロボットアーム、3Dプリンターなどのロボティクスが世界的に導入されるようになってきた現代において、各技術が社会に受け入れられてきた歴史を理解することは、新たな生産技術を普及させていくうえで非常に重要であるだろう。内田は何が建築文化の発展につながるかを常に考えてきた。資材が足りない時代に建築の量産化を普及させること、新建材を用いること、そしてシステム化への探求があった。しかしそれだけでなく、佐賀県立図書館や陶磁文化館などに顕著に見られる工芸、ディテールへの関心は、工業化や合理化だけでなく、生きることの喜びとしての装飾や意匠に対する関心の現れであっただろう。

話は逸れるが、民藝の祖とされる柳宗悦は著書『手仕事の日本』の中で、日本の文化の基礎として「自然と歴史の重要性」を説いた。自然を征服するのではなく、共生することは地球環境だけでなく、文化においても非常に重要である。「現代における民藝とは何か」という問いに、今私が思うのは、自然物がもつゆらぎや、かつての手仕事によって生まれるゆらぎ。それらが機械や情報技術などの人間が与えた規範と共生することによって生まれる美が、現代の民藝がめざすところなのではないかと思う。ていねいな手仕事で古いものが民藝なのではなく、自然物をただ無垢に利用することが民藝なのでもない。そこに現代の技術や知を重ね合わせることによって生まれるものが現代の民藝と呼べるものなのではないかと思う。オートクチュールではなく量産化できることも民藝において重要な要素ではあるが、内田がこれまでに取り組んできたことは単なる効率化のためだけのシステム化や量産化ではなく、「建築における民藝」について取り組んでいたのではないか、という仮説が読了後に浮かんだのである。

 

挫折と気づき

 

内田のビルディング・エレメント論の思想は、非常にコンピュテーショナルである。外部から入力される環境因子に対して、各部位を通してフィルタリングされ、内部環境として出力される。それは建築を部位に分解して、様々な物性を記号化・テキスト化して計算可能にしようとする手続きであった。しかしその後、あらゆるデータを揃えることの限界に突きつけられる。それは単なる挫折ではなく「本質的な目的とは何か」ということの、発見的気づきだったのであろう。

我々はいまや、量子コンピュータなどのこれまでの計算量の常識を超える機械を手にしつつある。かつて内田が描いた理想郷はそれによって達成するかもしれないが、それによって我々は何を得ようとするのか。その問いこそがあらゆるものが計算可能な現代において非常に重要であるのだと考えさせられる。

 

システムと美

 

寸法の体系は設計のプロポーションの問題と考えていたのが、建築生産の道具になるとは夢にも思っていなかったと内田は語る。ル・コルビュジエのモデュロールや丹下モデュロールなどに代表されるように、比例は美と機能のために用いられていた。「山田邸離れ」で完成したという内田のD φモデュールはフィボナッチ数列と十進法を組み合わせたものであった。モデュロールを適用しようとして建設コストの問題に直面して生まれたD φモデュールから、モデュールの問題を美と機能だけでなく、開発、生産、流通の問題へと広く適応させ、オープンシステムの研究へと進めていく。

どれだけ生産技術が高まってきたとしても、材料寸法、輸送条件などにおける制約と、常に我々は対峙せざるをえない。そして生産のための効率化は、資源循環や環境配慮を考えることが必須であるアントロポセンの時代において、美学の問題へと反転するのではないかと私は考えている。美しいと感じるものにはある規範がある。それは数学的な規範だけではなく、生産のための規範であったとしても、その秩序が美をつくるのではないだろうか。「木造とはプレハブだと思うようになった」と語る内田は、これまでの日本の在来技術が非常にシステマティックであり、翻って先端的であるのではないかという仮説を立てた。かつての日本建築、民家の風景の美しさは、木割などによる秩序がつくる美しさであっただろう。それは動物が巣をつくるときのように、生きるための資源の効率化と自己組織化された秩序によって生まれた産物である。いま、我々が地球と共に生きるうえで切実な、環境的課題に対峙したときに生まれる美とは何かを、責任をもって考えなければならないのである。

 

歴史と循環

 

建築で教えるべきものは現在の技術そのものではなく、「これまでの歴史のなかで技術がどのように社会に応答したか」であると内田は考えていた。この本から学び得ることは非常に幅広かったが、課題への取り組み方や姿勢と「本質的な目的とは何か」ということを常に問い続ける研究者・建築家の背中をこの本から学べたことが、私にとって大きな僥倖であった。我々はその背を越えて、彼が積み上げてきた建築史のうえに、次の建築文化の一歩を地球全体のために重ねていかねばならないのである。現代文化としての建築をより多くの人々がアフォーダブルに享受でき、かつ美しい環境に暮らすことができること。そこにロボティクスやコンピュテーションなどの先端技術が取り入れられたとしても、それは「建築における民藝」をいま考えることなのだと思う。

 

 (はまだ・あきのり/建築家)

 [初出:『SD2022』鹿島出版会, 2022]