近代都市計画の祖、ハワードによる住民の立場から考えられた初の都市計画論。
不朽の名著、新訳版。
「ハワードの考えていた田園都市というのは、名前や、その後のレッチワースをはじめとするニュータウン群から想像されるような牧歌的な郊外住宅地ではない。そもそも本書の大半が都市の物理形態よりは、社会システムや事業収益計算に費やされていることは、改めて指摘しておこう。でもそのわずかなフィジカルプランの部分ですら、ハワードがここで思い描いているのは、むしろ最新のテクノロジーを取り入れた超ハイテク都市だ。」
(訳者あとがきより)
![[新訳] 明日の田園都市](https://images.microcms-assets.io/assets/45d3a8c6c8a049b2875a0b4aafb26e5c/3ff955f1a24547a79ed6f93e701789a7/9784306073296.jpg)
[新訳] 明日の田園都市
ISBN:9784306073296
体裁:四六・292頁
刊行:2016年10月
- 序文 F.J.オズボーン
- この版への序文 F.J.オズボーン
- 田園都市の発想と現代都市計画 ルイス・マンフォード
- 著者の序文
- 第1章 「町・いなか」磁石
- 第2章 田園都市の歳入と、その獲得方法——農業用地
- 第3章 田園都市の歳入——市街地
- 第4章 田園都市の歳入——歳出の概観
- 第5章 田園都市の歳出詳細
- 第6章 行政管理
- 第7章 準公共組織——地方ごとの選択肢としての禁酒法改革
- 第8章 自治体支援作業
- 第9章 問題点をいくつか検討
- 第10章 各種提案のユニークな組み合わせ
- 第11章 後に続く道
- 第12章 社会都市
- 第13章 ロンドンの将来
- 訳者あとがき
現代の都市をハワードの目線で読んでみよう
饗庭 伸
旗色が悪い田園都市?
1902年刊行の原書で提唱された「田園都市」は、ル・コルビュジエの「輝ける都市」とともに、19世紀に誕生した近代都市計画が目指した代表的な都市像であり、20世紀にはその影響を受けた新都市が世界中につくり出された。わが国でも、戦災復興が落ち着いたあたりから新都市建設が本格化し、千里ニュータウン、多摩ニュータウン、つくば研究学園都市、といった都市が次々とつくられた。現在にいたるまでの大きな新都市建設運動の原典のひとつが本書である。一方で本書はジェイコブズによる『アメリカ大都市の死と生』[*1]において徹底的な批判を受ける。ジェイコブズ以降の都市論において本書の旗色は悪く、時代遅れで使えない理論、という刻印を押されていることもある。特に人口減少時代を迎えたわが国においては、新都市をつくる機会そのものがなくなっている。もはや使われることのない、古き良き時代の古典、現在の本書への評価はそんなところだろう。
短波ラジオからボックスセットまで
わが国の近代都市計画が始まった当初から現在まで、本書は何回も翻訳されている。最初の翻訳は1907年、内務省の官僚によるものである。昔の若者が短波ラジオを通じて海外の音楽を聴いていたようなもので、雑音が多い情報を頼りに譜面を書き起こしていた時代。まだまだ田園都市は限られた人のものであった。2回目はその60年後、1968年にSD選書として刊行された。それまでの間、田園都市が忘れ去られていたわけではない。当時の技術者たちは、田園都市以降に世界各国で建設された新都市の知識を貪欲に取り入れ、国内の新都市設計に活かしていた。シンプルな装幀をまとったSD選書は、音楽を安価に庶民に配るシングル盤のようなものとして、この原典を再び流通させた。3回目はその30年後の2000年に、本書の訳者である山形浩生がインターネット上に公開したものである。音質の悪いシングル盤に換えて、音源をリマスターしたものをナップスター[*2]のように公開した、ということなのだろう。そしてその16年後、未発表音源も加えたボックスセットのような本書を私たちは手にすることができた。まるでビートルズの音源のように、繰り返しリイシューされる本書を、どのように使えばよいだろうか。
近代のパタンを組み合わせる
本書が何度もリイシューされるほどの長い間、近代都市計画は続いている。そして印刷技術と情報伝達技術の発達によって、私たちはその蓄積にたやすく触れることができる。本書もそのひとつである。もちろん、新しい技術の開拓の余地はあるが、新たな都市問題に直面したときに、古今東西の近代都市計画の技術のパタンを召喚し、それを組み合わせることによって、課題解決の糸口を見つけることができる、私たちはとっくにそういう時代に入っているのではないだろうか。求められるのは、パタンの蓄積とそれを見渡す力、それらの編集力である。たとえば四畳半の空間をつなぐようにクルドサックをつくってみたり、自然公園の中に生物の動線をわけるラドバーンをつくってみたり、編集と組み合わせによって、たくさんの課題解決ができるのではないだろうか。
そう考えると、本書の使い方ははっきりしてくる。田園都市をいつでも召喚可能な「今日の田園都市」としてあなたの手持ちのパタンにいれる、ということである。
そのためにも私たちは、まず本書と、その後にできたレッチワースを切り離す必要がある。評者は本書を自身の住む多摩ニュータウンと照らし合わせながら読んでいたのだが、そこには、共通点を見出すのが難しいほどの差がある。訳者も指摘するように、ジェイコブズをはじめとする田園都市への批判は、出来上がった空間への批判であることが多く、本書への正当な批判でないことが多い。後世の批判に目を曇らせることなく、本書に込められたパタンを丁寧に理解し、身に付けるべきだろう。
人々がつくる都市の原理
本書の帯には「住民の立場から考えられた初の都市計画論」という文句が踊っている。この「住民」という言葉は、ある場所に住み続けたい人たちのことを想起させるが(まさにジェイコブズが根拠としたものである)、すこし語弊がある。ハワードが田園都市を考える手がかりとしたのは、稼いで消費する経済的な主体として、あちこちに移動し集住する「人々」である。「市民」というほど立派なものでもない、よい暮らしを求める当たり前の人々。近代によって誕生したこうした人々が、少しよい方向に判断を積み重ねていくときに、どういう都市を求めるかを描き、それに投資して、近代の歯車をすこし早く回しましょうよ、と主張したものが本書である。
近代の歯車が何回転かした100年後の現在において、世界のあちこちで、そして日本でも、それなりによい都市が出来上がっている。ハワードの提案は、新都市ではなく、人々が当たり前の小さな判断を積み上げてつくり上げた現代の都市の原理を言い当てているようにも読める。つまり、今の「それなりによい都市」を改善するときに、ハワードの目線は有効であり、本書はその改善のための重要なパタン集にもなりうるのではないだろうか。
[*1] Jane Jacobs, "The Death and Life of Great American Cities" New York: Random House, 1961.
翻訳書として『[新版]アメリカ大都市の死と生』(ジェイン・ジェイコブズ 著、山形浩生 訳、鹿島出版会、2010)がある。
[*2] 2000年前後に流行した音楽ファイル共有P2Pソフトの名称。
(あいば・しん/都市計画+まちづくり家、東京都立大学教授)
[初出:『SD2016』鹿島出版会, 2016]